憂き目

生きるという憂き目に遭う

写真に思うこと

高校生の頃、写真部だった
それ以前にコンパクトデジタルカメラってものを持っていて、
ちょこちょこ写真を撮っていた、っぽい
記憶がないんだけど、元から収集癖出ていたかもしれない


当時の写真を見返して見ると、
目の付け所なかなかセンスあった
今の俺は過去の俺を評価してやれる、目がある


祭り、花見、イルミネーション
いろいろ行った
当時はそのイベントそのものにフォーカスしてるつもり
つもりだった
その場で楽しむ人々を意図的に切り取っていた
観察病出てる


今の目では、酒とカップルと親子が目に付く
酒は身近だから目に入って認知される
カップルと親子はもう叶わぬ問題
故に、目が行く、他より浮いて見える


人撮り
素材も必要ではあるけど、
表情の味付けが大事
真顔の方が綺麗、なんてことはない
宣材写真とかはそれでいいのかもしれないけどなー


笑っている顔、写真っていう画像から伝わる情報量が倍増する
芸術というのは何を語れば評価が上がるのかは分からないけど、
シンプルなのに情報量が多い
みたいな写真は評価が高い気がする
要素を削って情報の厚みを出すのは難しいからね


睨まれているのも"感情"が見えて、
それはそれで良いが、
魅力的な写真はやっぱり笑顔だな


撮るために、強くてニューゲームするなら、口説きだよな
写真なんて技術的なことはほとんどなくて
・画角を取る
・脇を締めてピントを合わせる
これぐらいしかないと思う
マニュアルで~とかどうでもいい、それはマニアック
必要な能力は「被写体の魅力をどれだけ出すか」だろうなあー


写真家として生きている人間に陰キャ風味の人がいない
それが全てを物語ってんよ




過去の反省点はあれど、
上手くやって、上手くやった未来に着地したい
という気持ちはない
ifはどうでもいいのだ
その当時の俺に、そんな能力はない
バカはバカなのよ


たっぷり過去を懐かしんだ、死んだわ
昨日はネトゲ日記を読み直していたのでインターネット俺を見た
今日は写真を見返してリアル俺を見た
どっちも俺、違和感がすごい


その時間を生きていた気がしていない
時間の断片は感じる、分かる時間もある
ただ、分からない時間の方が多い


取るに足らないクソどうでもいい日々覚えてないよね
過ぎ去った時間の感覚なんてそんなものだよね
日記がなければ思いだすこともできない、何もない
そうやってまだ生きて行かねばならない


つまらない時間に耐えうる暇つぶし、非常に求めている