憂き目

生きるという憂き目に遭う

麻雀

11時から22時まで11時間か
メシ食ったり休憩入れてたから稼働は10時間ぐらいかな
10半荘やって+106
8月47半荘-265
9月20半荘-3
これからしたら調子よかった


11311 33333
4060の配分、1位パワーのおかげの+100
前半で+200行って
今日は残り3位で100リーサルまで見えてた
割とパターン見えてきたなーってしみじみしている
受け入れざる


ずっと打ってるから疲れてくることはあるけど、
ゲームの状態に萎える度合いは受け入れによって軽減できている
メンタルが作れているなーと思った

運量について

運は流れ、運は量がある
どこで見た話だか忘れたけど「運に限界値はない」がお気に入り
神はいるとかいないとかくだらねーのよ
水平にしているはずなら、どうして成功者がいんのよ?ってな
引き寄せの法則がなんだとかな
ウケんね
結局、経験値から見て引けるか引けないか
引けるようにプレイングを寄せるか
みたいな、そんな問題だと思っている
善行を積んでおくとかな?


オカルトマンとしては割と運の信仰がある
前半戦はココが来るって直感が効いていた
単なる思い込みと印象の問題じゃないの?
と思わなくもないけど、俺なりの"直感"に対する論理はある
経験値を通して盤面から見て、自分の手元に拾えるイメージができる
七対子に対して練度が上がっているのと同じ印象が通常手でも来た


オカルトオカルトって言っているけど、
俺はその場その場の理論値を探しているだけなんだよな
どっちの方が盤面で濃いのか?
川に出ていないだけで潜在的に所持されている雰囲気
いらないとされていることで山にある確率
そういうのを経験値で拾っていくだけなんだ
結局、経験なんだよなあ…


どれだけ覚えておくか、記憶の蓄積こそが直感として働く
その場で論理を全て説明できるわけではないけど、最適だろう
そういう判断が下せるんだろうよ


麻雀という運ゲで格ゲーみたいな話をし出してる
俺の姿勢はおんなじだけどな

運の下がりと防御

前半戦で感じた「これやったことあるパターンだ」という感覚
配牌から麻雀の攻撃の面白さではなく、
防御の面白さでやるしかないという雰囲気が漂っていた
疲れてきて判断力が落ちているのもあるけど、ひたすら守っていた


勝つためにやっているので適度にリーチは打ってはいたけど、打ち負けていた
もうリーチに火力を感じなかったから軽い鳴きに頼って張りはした
あの判断力は俺は俺を褒めたい
自分のツモを使わないようにする
手元に面子はなくともリャンメンカンチャンがあることに感謝、鳴きを入れる
これでズラして他人のツモをかすめ取る
これは自分の手元というより盤面コントロールの域だなって思う
ちょっと触れたかもしれん?
気のせいかもな


麻雀は攻め気に押されるゲームだけど、面白さの本質は防御にあると思う
思わざる負えないぐらいには運が悪いときもある
そういうもんだ


その時、どこまで論理とオカルトを持って放銃回避できるか
リーチ放銃がほとんどだったけど、リーチするのが悪いじゃん
打点を考えたら…となるけど、放銃するならリーチなどしない方がいい
握ったときに回して生きながらえるダマに構えた方がいいんじゃないか?
テンパイして罰符を稼いだ方がいいんじゃないか?
考えたこともなかったことを考えるきっかけは得られた気がしている


今日、自分の手が強かった時に降りる力が少し足りなかった
親満貫でガン押ししてしまった
77s77pでトイトイ役ドラみたいな、そんなんだったような?忘れた
6sツモって即投げ12000打点だった
ドラ8sが3枚切れていて今更5s8s待ちにするか?ってところまで頭が回らなかった
ちょっとぐらいは考えてもよかったんじゃないの?ってなー
日記書いてて考えが甘いなって、少しだけ反省した


結果がどうあれ、択を考えたことすらないのはよろしくない
俺は納得しない

一番悪かったこと

10半荘のオーラス 1800 親33900 38000 俺25200
1位条件は1位に跳満直撃かツモ削り
視野狭窄になっていたから打点足りてワンチャン狙えたのに記憶喪失になった
リーチ三色ドラドラだと思い込んで1足りんやんけって…
これにな、平和がついていたんだ…跳満できるじゃん?
なんならツモ狙いならツモもあるじゃん?
バーーーカ


この1つ前の局は1位に鳴かせて終わらせないように黙って握りつぶして、
親のテンパイによって次局の配牌に賭けるっていうクレバーな行動をしていたのにな
メッチャバカ