憂き目

生きるという憂き目に遭う

僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って

僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って


僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って (DOBOOKS)

自伝、そして、哲学
届いたことに気付いたのが朝4時
そこから1回寝たけど、起きて即読み切った
人生の何よりも優先して読みたい文字だった


余談
最初在庫なしだった
いうてAmazonなら注文したら入荷すんべ、とポチった
数日後、キャンセルのメールが来た
「ごめん入荷できんからすまんやで」的な内容
Amazonって本買えないことあるのね…


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しょうがないから中古で買った
なので、紙が摩耗して角が白く削れている
1ページ目から折り目がついてる
ちょっと萎えポイント、まあ、中古なんでね…
本は文字が読めればいいので許せた


この本を買いたかったきっかけはインターネットの記事
note.com
無料部分で読めるところで紹介されてたから、ポチった
軽く引用されている内容で、いつか買うのは確定してた


ukime.hatenablog.com
記事を読んで、ブログ追って、自爆もしてる
ザコメンタルな俺だとちょっとやられるほど、哲学してる
死んだ

1章 無縁、無常、何もない家

「いつか死ぬ」ということを、外界の要素なしに急に自覚した

僕は自由で、そして死ぬのだ。


魅力が詰まった、震える言葉だ
前後の文脈も合わせて染みていきたいが、
あれこれ引用するのは趣味ではない


この感覚をベースに語りが進んでいく、非常に面白い
死に対してマジメ、対する生に対してもマジメ
その崇高な姿勢がとても面白いのだ
というか、尊敬

3章 愛、信頼、自由

俺に似ているけど、パワーが違うなと思った話がある
自由への渇望が凄い

僕は、怠けるために全力を尽くした


夏休みの宿題を全力で終わらせる
出た瞬間フライングして終わらす
そして、その後は怠けて過ごす
「やるべきことがない」が気持ちがいい
これ、ものすごく分かる


俺は、夏休みの宿題に対して、
一貫したスタンスを取れたことがない


先取りして妄想夏休みの日記をねつ造した
ドリル系は学校がある内に内職した
家に引っ張りたくなかったのだ
怠けるために全力を尽くした、に属する


一方で、
絵の宿題のデッドラインは
「夏休み明けの美術の時間」
までなのでそこまでやらなかった
絵具用意してびちゃびちゃぶん投げて、
芸術と言い張ればいいだけ、チョロすぎて先取りする気も起きなかった


基本的に提出が遅れるようなことはなく、
要領よく世間を渡る能力、はあったのだろう
思い返しても、宿題やったの?とか聞かれることはなかった
「ちゃんと終わるよ」ぐらいしか返事した覚えがない
イイ子なんだか、クズなんだか、微妙なラインだ


俺も同じ、自由への渇望だけど、
残っててもどうせ終わらせられるもの、には力が入らなかった
世間っていうのはどういうものを出せば文句がないか
打算は得意技




どう控えめに言っても、自分は幸せな日々を送った


この感覚も分かる、俺は同調している


当時こそ、大して気にしなかったけど、
今思えば、小学生時代は好奇心で脳汁だった
「授業で眠くなる」ということがなかった
つまんないなりに新規知識に魅力があったのだろう
退屈を感じる前に、脳汁ドッパアで幸せだったのだ
授業が終われば休み時間、遊べるしな
やりたいことに満ちていた、充実感があった
新規、というのはそれほどに面白いことなのだ


父親は山へ連れて行ってくれたらしい
フィールドワーク的な奴、喜ぶ人間は楽しいだろうなあ
母親は体験した話を聞いてくれたらしい
自分に興味を持ってもらえる、話を聞いてくれる
それは承認欲求を正しく満たすものだ


そりゃ、控えめに言っても幸せな日々だよな


俺も似たようなものだった
小学生の頃は、この感じそのもの
中学時代は自称反抗期
ネトゲ廃人だったのでほとんどしゃべった記憶がないんだけど、
母親いわく「反抗期だったっけ?」らしいのでよくわからない
全然リアルのことは覚えていない
高校生になったら写真部の活動内容とか撮った写真見せて話したり、
なかなか平和だったんじゃないのーと思う
不和らしい不和も感じていない
俺は承認欲求は満たされてしまっている


著者は、そんなことよりも自我に興味があるらしい
この世が存在する理由、を求めている気がする
俺はそこまで世界に対して誠実になれない
ここが分岐であり、面白さ
同調していない、したくてもできない部分、

4章 不純さ、ホンモノ病、羞恥心

著者は暗記能力お化けだったのだ
その力で学力無双、学校のお勉強なんてそんなもんだからね
中二病的に言うと"チカラ"に溺れたのだ

気が付けば、自分には心から好きなものなど何一つなくなっていた。


闇の入り口味、これから転がりそう


好奇心と愛を失ったそうだ
"ホンモノ病"
ホンモノは「それさえしていれば時が過ぎるもの」
それ以外は全て動機が不純なニセモノ


「ニセモノの動機から行動をしている」
というのは「恥」らしい
バレたら羞恥心を感じるらしい


本人の興味が内に向いているからこそ、
羞恥心まで育ってしまったんだろうなあ
どうせ、大したことがない
全員が、お互いに興味がない
そういう、所詮他人という意識が軽薄な気がする


全てが重要、意味的、そうでないとおかしい
そんな取り付かれ方をしている、疲れそう
この世、意味のないこといっぱいあるし、
軽薄なことだらけだ
俺は割とうんざりしてる
元気ならバカだなーって思えるけど、
疲れてるとバカがいるなんてだるいな、と思っちゃうね


その程度なんだよなあ
自分の動機はホンモノにこだわりたいけど、
他人のホンモノにはなんとも言えない
だから羞恥心なんて、ないのにな


エピソードとして、教科書に読み上げがあった
当てられた時に、
本質を理解していないんじゃないか?とばれるかも?
だそう
肥大化しすぎた自意識というのは大変だな、と思った


俺も俺も中学生ぐらいまでは嫌だった
理由は違う
目立つのが嫌だっただけだ


ホンモノか?なんて理由で人を見る奴なんていない
それでも著者の世界ではそうなのだ
崇高な理由で読み上げに当てられるのが嫌だと思える
そこが、尊敬ポイント


ホンモノ
youtubeイカれたホンモノ人間をよく見るけど、
傾倒したエネルギーの投下した産物は面白い
実りはともかく、行動すること時代で満たされている
「目標に向かっている」感が出ている
これが非常に羨ましい
涙が出る、俺にはない、ない、何もない
俺に出来るのは高評価を押すぐらいだ、押してあげてる

5章 喪失、哲学、真理

大学に進学、東京へ出てきた
(ちなみに東大、チカラ)
キョダイ空虚都市である、クソ東京に出てきて、
匿名感を感じた。らしい


なんでもない一人として死ぬ、そういう事実を思いだしたらしい
生きるフォーカスから一転して、死ぬことへ移った

一年、二年というスパンの時間が本当に存在したのか。
あれは本当に自分だったのだろうか。


俺の中学生の時みたいだ
日記にリアルにあったことがたまには書いてあったけど、
基本ネトゲの話しか書いてなかった
経験値を稼いだ記録はある、ネトゲの思い出もある
リアルの時間がちゃんと流れていたのか?これは怪しい
たぶん、なかった
心に残るようなこと、ないのだ


著者、考えていることが哲学という学問であることに気付く
高校生の頃は「暗記能力お化け」で無双していたし、
東大に入れたのもそのお化けパワーだったのだ
その力で哲学書を読むが、読めないらしい

目の前に並ぶ記号からはもはや、何の光も、なんの力も感じられなかった。


記号とは、本に書いてあること
内容に対して、懐疑的になってしまった
一度崩れた信頼は戻らない
人間関係みたいだね、やるやつは何度でもやるよ


外から文章を読む俺としては、
どう考えても鬱病だー


ホンモノ病であるが故に、ニセモノムーブをしている自分が認められない
自己肯定マイナス
本当の興味かどうか、それに自信が持てない
自己肯定マイナス
そんな自分を許せない
自己肯定マイナス
そりゃ、自分が崩れるには十分すぎるなあ、と思った

7章 自分自身であること

旅をして、言語が通じない国へ行って、
逃亡、救いを求めている
アパートという空間もいらないのでは?と
路上生活をするようになる、ムチャクチャしている


自分の目で、自分の経験で
そうじゃないと認知できないんだろうなあ、と
マジメで愚直だな、と
そんなことを思った
見下したい気持ちもあれど、
行動の誠実さに俺は消えてしまいそう


これなのに、著者、ニヒリズムにならない
俺は超絶ニヒリズム信者なので、
ここで切り捨てられてしまって泣いた
生きる使命なんてないよぉ…意味もないよぉ…
それ以外に答え、あるわけねぇじゃぁぁぁん…
くぅーん、って感じー

 「人生は短いのだから、力をつくして精一杯生きるべきだ」と言う人は、最初から精一杯生きたいと思っているのだし、「どうせ死ぬのだから、楽に生きよう」と言う人は、最初から楽に生きたいと思っている。頭に「いつか死ぬのだから」という枕詞を付けると、その後にその人の本性を現す文言が続くようになっていて、しかもどんな文言でも成立する。


痺れる、死んじゃいそう
俺は「いつか死ぬのだから、どうせ何をやっても無駄」です
放棄、それこそ俺の本質


ただ、そんな俺も自暴自棄にはならん
なってもいいことないからな
いくら俺の好きだったものを捨てても、
自分で自分に怪我させても、
なーんにも変わらないからだ、これは経験談
ぼく愚か者


人生、脳汁を得ること以外に何か意味があるのか
気持ちよくならないなら全部どうでもよくないか
そんな考えはぬぐえない、困ったものだ
クスリに手を出したら絶対ハマる
タバコも絶対ハマる
脳がとろけて、中毒に身を任せられるものには流れて行ってしまう
ネトゲ、ソシャゲ、毒だった


今はアルコールにハマっている
「これぐらいならいいっしょ」と思っている
しばらく抜けれる気はしていない
今も飲んでいる、ガブガブは飲まないけど継続的に酔ってる

8章 孤独、私的生きにくさ、自我

路上生活の本質は「寝る場所が欲しい」だった
土地を買い、小屋を建てることにした
安全地帯

結局、社会というものは、その時代の平均的な暮らしをする人間にとって最も効率がいいように作られているものだ。


本質
普遍的な人間が生き残れないと社会は成立しない
ただし、現代はバグってきている
科学技術の進歩と共にジェネレーションギャップも早い


5年ぐらい下へズレた下の世代ですら、中高生時代にLINEをしている
俺は大学生でやっとLINEなのに…
俺の中高生のときはmixi(インターネット古代遺跡)なのに…
前略プロフィールモバゲータウン


5年上にズラすと携帯すら怪しい時代に入る
流石に仕事としては"携帯電話"は所持してはいるものの
未だにガラケー持ってたりして、意味が分からない


10年上だと、ワンチャン携帯すら持ってない
若い頃に携帯文化がなかったレベル
人間じゃないじゃん?ぐらい思っちゃう
もうジジィとかババァの領域


当然、5年10年で社会が丸ごと入れ替わるわけではない
社会には"膿"のようなクソゴミ人類も増えるわけ
「最近の若者は…」論はローマ時代からのお約束なんだけど、
現代は超加速ジェネレーションギャップなので、数倍の速度で言われる


仕事への取組みもギャップでクラッシュしている
年代毎に仕分けして労働しているわけではなく、
タテに串をぶっ刺して組織は成り立っている
時代背景に合わないステレオタイプのクソオヤジが仕切っている
「オレの時代はな…」とか言っちゃうヤツな、普通に不幸になれ


これから社会人として生成される若者のための社会などない


だから、生きにくいよねー
産み落とされたからしょうがなく生きているけど、
生存権を返せるなら返したいよねー

誰ともかかわらずに低消費で毎日を送れること


小屋を出て、国内外を放浪しているときに、
小屋が恋しくなるそうだ、いると安堵もある


自分の中に対して存在しないエネルギーを必要以上に削らなくとも、
生存することができる
それはとても素晴らしいことなのかもしれない

現代

この本は2015年の12月発売である、ざっくり5年経ってる



著者のTwitter


金を生み出すとき、大体時間で買われる
時給だの日給だの、時間を買われる


単純労働の中、Uberは固有の魅力を有している
「好きな時間に労働できる」
という点で抜きんでている
これぐらい、チョロい労働であるべきだよな


これからも、気が向いたら読み返すかもしれない本だわ