憂き目

生きるという憂き目に遭う

無職1周年

無職1周年

だいたい1周年
1年前、鬱病になった、ウケた
休んで思ったのは、
別に、働いていても、働いていなくても
どーせ人生はどうでもいいし、しょうもない

俺は虚無主義ニヒリズムを信仰している


ukime.hatenablog.com
1年前の記事
内容の刺々しさ、毒が強い
鬱病一歩前の奴が書いてんだからそりゃ面白い
救いの出口を求めていた
答えかどうか、確認の為に捨てまくったのだ


いまでもそれなりに後悔する服やグッズはある
なくても困らないけど、捨てなきゃよかったとは思うよ
正常な判断力はしっかりと失われていた

鬱病を振り返って

ukime.hatenablog.com
5日後、精神科へ行くことになる


朝、会社に行く、ここまではいつも通り
いつもどおりだるいし、死にたかったと思うよ
覚えてないけど、どうせそうよ


その日は、部署の部屋が変わるので引っ越し
新しい席、キーボードを置いて、パソコンを起動して
冷や汗の出る震えが始まった
ガタガタではなくプルプル
さっきまで大丈夫なのに、急に来た
日記にも残っている通り、1時間ぐらい虚無を過ごした


調べて、鬱病の現象として理解はできた
俺、壊れたんだな、って
正直、あんまり認めたくなかった
暇すぎる会社で暇しててもメンタルぐらい持つっしょ
と思っていたけど、
思ったよりも暇はつらかったのだ


現象として、
空中に体内が吐き出されたような不快感
ずっと吐きそうなのだ
目から得る情報が弱くなって認識できない
「気分が悪い」が思考を支配する
足元が浮いているような感覚
すべてが希薄になる


ヤバすぎるからなんとかしなきゃと思って
精神科を予約するところまで理性だった
こういうことができるんだから、
俺はファッション鬱病なんじゃないのって思ってた


実際はガチガチの鬱だった
実感ポイントがいくつかある


・足
びっくりするぐらい足は重い
重すぎてあんまり上がらない
歩幅が短い、速度は遅い


・涙
特に何か悲しいことを考えたわけでもなく、
すーっと涙が流れる
ちゃんと萎えてても出るけど、何も思ってない
メンタルの底から絶望している
目から出る闇
意味もなく息苦しかったな


・趣味
初期段階はマンガアニメゲームとか好きなものが摂れなくなる
というのは「あるある」
鬱病の本で知っていた
この感覚ね、ぐらいの理解はできた
ただ、実際はクソッタレなほどキツい


友達と喋るとかはできた
楽しいことはできるのだ
楽しいという条件下のみ正常に戻れる
それ以外の能力がものすごく下がる、デバフみたいなもん


・食事
太ってもいいから好き放題食べた方がいい
これも知識に寄る対応
アホほどアイスクリーム食ってたらちゃんと太った
まあ、いいんじゃない・・・


これから月日をかけて修正していく
ちゃんと直った、とは今も言えない

労働

最初の会社は1年8ヵ月、12月に辞めた
転職して1月から働き、3月には逝った
在籍としては4月までいるけど、
ギリギリ2年働いていないぐらいなんだな


労働者にも一応なるだけなって、
社会的立場を失って見て、


今、選べる立場にある
何にもしなくてもいいし、何かしてもいい


労働に対して絶望感はある
平日なら出社しなければならない
不幸にも永遠の眠りではなく、覚めてしまう
好きでもない日常を繰り返すことが確定する
面白くもなんともないことをやらねばならぬ
クソ長い仕事時間を越えるのも一苦労
越えて帰宅しても、明日も仕事
考えたら過度な夜更かしは死ぬ
冷静にしてつまらない日常を濃くする思考
飯風呂などの夜のルーチンを行う
自由な時間は限られている
こんなことを毎日・・・そういう絶望感
どこに希望がある生活なんだか、ないだろう


労働しなくても絶望感はある
当たり前だが収入がない将来への不安
収入を得ない限り絶対に付き合っていかないといけない
世の中のチョロそうなマネタイズを調べる無駄な日々
楽しくなって調べて、現実に置き換えて行くと物理のだるさに悩まされる
現実に反映することの面倒くささ、大いなるもの
妄想で済ましていくのがコスパ
そんなことを、数日に1度はやっている


不安から来る、死への渇望も忘れない
生きていても意味がないのは日課の思考
働くのは生きるため、飯のタネとかよく言うじゃん
働かないで生きているだけ、何のためなん?
生きるために生きている
この哲学を越えられない
生物として生まれたから、しょうがなく生きているだけ
意味などないのだ、ニヒリズムなのだ
虚無は平等だ
意識がある内だけ、世界は存在する
意識が失われれば、世界は消滅する
全ては虚無になる、何もないのだ
そーんなことをずーーーっと考えるのだ
定期的に沸いてくる「人生の意味」に対して回答を持つのだ
俺はニヒリズムを究極としているが、
新しい答えはないのか?と模索してしまう、よろしくない
究極以上の事なんて、ないのにな




じゃあどう生きるべきか?
テキトーに過ごす
これ以外に、ねえだろ


無職は社会と積極的な関わりを失えるので、
不快なことが比較的少ないけど、
人生の大半は不快なことだ
「良い」と感じられる時間よりも、
「無」と「だるい」の方が比率が高い
努力しないと良いにはなれないのだ


家にいたってムカつくことはある
寝ようと思っても時間になったら太陽は登る
近所の工事は俺がうるさいと思っても続く
暇な深夜にはTwitterのタイムラインが静か
youtubeを見ていても見すぎて目が痛くなる
ひきこもっていると食料がなくなって出かけなきゃいけない
食事は気を使わないと太る
ゲームはやりすぎると脳汁が枯れる
俺が暇で遊びたくても他人が暇だとは限らない
色々だ。
色々が俺を殺す、大した問題ではなくとも、
何の問題もない生活だからこそ、問題が浮いて、強調される


自分に許された怠惰をむさぼって生きるしかない
金があるだけ怠惰でいられる
今は未来とかどうでもいいから、怠惰であり続けたい
生きていることを忘れるための努力は惜しまない


明日も目覚めないといいな
毎日願って眠るけど、不本意ながら目覚める
目を閉じるだけでゲームが終わればいいのにな